〜インテル入団当時の記事から〜
「ジュゼッペ・メアッツァの大物」
<ソースは不明ですが、ゆかりんさん提供の英文記事をcicciが翻訳しました>
フランチェスコ・ココは1977年1月8日、カターニャのパテルノに生まれた。3歳でミラノ州のレニャーノに移り、ここで彼はサッカー選手としての輝かしいキャリアを積むことになる。最初、彼はコモでプレーした。その後、ミランのスカウトに見いだされて、ついに若いロッソネーリたちといっしょにプレーすることになった。
1995年8月27日、1−2でミランが勝利したパドーバ戦でセリエAにデビュー。フランチェスコは、この試合のもう一つの思い出を大切にしている。勝利のゴールを決めたフランコ・バレジが、未来の成功を予言して、このゴールをココに捧げてくれたのだ。
このシーズンの最後には、ケガをしたパウロ・マルディーニの代役をつとめ、ココはミランのプレーヤーとして名前を知られるようになっていた。しかし、マルディーニが回復すれば、ココがどんなにいいプレーをしても、この偉大なイタリアのキャプテンのポジションを奪うことは不可能なことだった。そんなわけで、ココはヴィチェンツァとトリノにレンタル移籍した。
1997年、彼は活躍の舞台を求めて、ヴィチェンツァに移る。彼は19歳で、まだ成長する必要があった。しかし、膝をケガしたばかりか、コーチとの関係がこじれてしまった。
「あのときは不安だった。僕の強さを見せるために、ミラネッロには戻れないと思っていたんだ」と彼は語る。
そんなとき、幸運なことに、ヨーロピアンチャンピオンシップのU21に招集されたことが、彼を元気づけた。結局、そのあと、1998/1999シーズンには再びミランに戻り、スタメンに名を連ねるようになる。そして、1999年にスクデットを獲得したロッソネッリの一員として、広く認められた。
(訳者注:1999/2000シーズンはトリノへレンタル移籍、2000/2001ミランに復帰してザッケローニ監督のもとでブレークする)
2001年8月、ミランは突然ココを構想外と決め(訳者注:テリム監督就任による戦術変更のため)、バルセロナへレンタル移籍させたことは世間を驚かせた。新シーズンの最初にチームのベストプレーヤーの一人をバルセロナへ去らせることになり、ミランファンの一部は怒り狂った。テリム前監督に対して、才能あるミッドフィルダーをスペインに流出させたことが非難された。
そんな中、ココは「カタランの巨人」(バルセロナ)に入団した最初のイタリア人プレーヤーになった。ココはミラン以外のチームでプレーしていた期間は不運だったが、バルセロナは、2002/01UEFAチャンピオンズリーグのホームでのミラン戦で、ココが彼らを打ち負かしたプレーに強いインパクトを受けていた。この試合で、ココは1ゴールを上げ、さらにドイツ代表・ビアホフのゴールに素晴らしいアシストをした。
しかし、カンプノーに着いてみると、ココにレギュラーの座は用意されてなかった。彼はレシャック監督とともに、浮き沈みを繰り返し、スターティングメンバーの席をセルジと共有したため、継続して出場できなかった。バルセロナは不満足な戦いしかできなかった上に、次のシーズンのチャンピオンズリーグの出場権さえ手に入れられなかった。
それにもかかわらず、イタリア代表監督のトラパットーニは、ココが代表チームに加わるだけの質をそなえていることは、すでに十分に確認済みだと主張した。今年の3月という早い時期に、トラパットーニはココを極東(日本・韓国)に連れていくという考えをほのめかしていた。
「ココは今、バルセロナでプレーしていない。だが、我々と20日間もトレーニングすれば、トップコンディションになるだろう」
そして、トラパットーニは自分の言ったことを通した。驚いたことに、ワールドカップのイタリア代表に参加する23人の最終リストに、ココの名前が書かれていたのだ。
ココが合宿に参加したとき、彼のプレー時間は多くのチームメイトと比べて少なかった。それは両刃の剣とも言えた。彼は確かに実戦から離れていたが、休止状態ゆえのフレッシュさをもっていた。ココが予選や親善試合でアッズーリとともに戦ったプレーは、人々の心に残っていた。ルーマニア戦で初めてメインチームに招集されたとき、実はみんなが彼に注目していたのだ。
「トレーニングの間は、ノーマルな状態だったよ」とココは代表チームへのデビューをふり返る。「でも、親戚や友だちみんなのためにワールドカップのチケットを手配したとき、試合の緊張感を感じ始めたんだ。みんなが僕を信じてくれているって考えると、すごくうれしかった。それから、恐れを感じた。(どきまぎして?)僕の勇気を見せられなかったけれど、今思い出すと、あれはすばらしい熱い高まりだったね」
フランチェスコは、ついにアジアで目的を成し遂げた。
トラパットーニは守備戦略を変更し、4バックにするためにココのミッドフィールドのポジションを犠牲にした。そのためココはグループリーグの最終戦まで、ただ試合を見てなくてはならなかった。
メキシコ戦で、イタリアは先制された。交替したココは疲れた中盤に生気を吹き込み、攻撃面でデル・ピエーロとモンテッラへの突破口をつくった。彼がチームを押し上げる活気を持ち込んだお陰で、イタリアは試合を同点にし、次のラウンドに進むことができた。
短い時間で見せたすばらしいプレーによって、彼は次の韓国戦のスターティングメンバーになった。ケガと出場停止のためネスタとカンナバーロが欠場し、ココはチームのキープレーヤーとして重要な位置を占める大きなチャンスをつかんだのだ。
ココのプレーはイタリアのメディアに高く評価されたが、イタリアは敗退した。ワールドカップの初スタメンの試合が、トーナメントの最後の試合ともなってしまったほろ苦い経験をココに残して……。
ワールドカップの夢がやぶれるという失望の一方で、フランチェスコは、ポケットの中に新しい契約をもっていた。元ミラニスタは今、地元のライバルチーム・インテルに加わることになったのだ。彼はバルセロナにとどまれなかった。ミランに戻ることもなかった。ついに、彼は自分の今の地位を与えてくれたチームを去らなくてはならなかった。
「長い年月を過ごしたチームを去るのはうれしいことじゃないよ」と、彼は移籍についての思いを語った。
次のシーズンは、フランチェスコにとって復活のシーズンになるだろう。ココは初日から中心チームの一画を占めているようだ。これから調子を上げ、ジュゼッペ・メアッツァで大物となる存在であることを証明できるだろう。 <おしまい>